「箏を通して見たドイツ」               ハンブルク日本人学校
                                教諭 栗坂 祐子
 
 「SA KU RA ,SA KU RA ,HA NA ZA KA RI 。」
 
 むき出しの梁に,日本の国旗が一面につり下げられたグロッケンハウス。年輩の男女の歌声が響きます。リューネブルク独日協会のパーティーで,私に箏の演奏をという話があり,出かけたときのことでした。「六段の調」に続いて,「さくら変奏曲」の演奏に入ると,なんと会場にいたドイツの人達が,私の箏の演奏に合わせて次々と歌い始めるではありませんか。子音のはっきりしたその歌を耳にしながら,私は,かつて経験したことのない深い感動を覚えていました。
 パーティーのオープニングで,リューネブルクの姉妹都市である鳴門を訪問したメンバーにより,日本の歌が披露されました。「一月一日」,「茶摘み」,「浜千鳥」,「村祭り」,「荒城の月」など,私たちにもおなじみの曲ばかりでした。きっと,「さくら」もレパートリーの一つであり,彼らにとっても,おなじみの曲だったのでしょう。
 
 「さくら」のあとは,ドイツ民謡で締めくくろうと考えました。「夜汽車」,「こぎつね」の演奏を始めると,今度はドイツ語の歌の輪が次々と広がっていきます。演奏中の私ににっこりほほえみかけてくる女性の顔も見えます。私もほほえみ返しながら,演奏を終わりました。
 
 ハンブルク日本人学校に赴任して以来,何度かこのように箏を演奏するチャンスを与えていただきました。リュータウの農場で,民俗学博物館で,アルトナの教会で,そしてハノーファーで。演奏後,ドイツの人達が,感想を聞かせてくれたり,様々な質問をしてくれたりするその時間が,私は一番大好きです。
 
「これは何の木で出来ていますか。」
「糸の素材は何ですか。」
「音階はどうなっていますか。」
「何年練習すれば,弾けるようになりますか。」
などの素朴な質問に,たどたどしいドイツ語で答える
とき,音楽をしていてよかった,幸せだと感じます。
 
 「箏」という楽器を通して,多くのドイツの人々と出会い,そして,音楽の楽しさを共有することが出来ました。この経験は,外国の人を前にすると臆してしまいがちだった私を,ほんの少し大胆な私に変えてくれたような気がしています。そしてまた,ドイツという国のよさ,そこに住んでいる人達のひたむきさに大きな魅力を感じ始めました。